美しいカキツバタが咲くと言われる、名所の一つの八橋無量寿寺には、昔話とされる「姫塚」の話があります。この「姫塚」と呼ばれる塚は、無量寿寺の本堂裏庭に置かれており、「姫塚」を別名「カキツバタ姫の塚」とも呼ばれております。
では、このカキツバタ姫の塚にまつわる昔話は、どういったお話なのでしょうか?
八橋に伝わるカキツバタの昔話とは?
知立市八橋の無量寿寺といえば、カキツバタ祭りでも有名で、その歴史は約60年にも及んでおります。毎年このカキツバタ祭りを楽しみに、全国からたくさんの人が訪れ、初夏を彩るカキツバタが見せる景色を楽しみにしております。
そんな歴史ある無量寿寺の本堂である裏には、カキツバタ姫の塚が置かれております。
カキツバタ姫、そう呼ばれるようになったのには、悲しい昔話があったからです。
その昔である平安時代に、在原業平という人物がおりました。カキツバタの頭文字を詠んだとされる、有名な歌人です。この在原は都で身分違いでありながらも、美しい身分の高い姫に恋をしてしまいます。その結果、都を出ていくことになり、東の国へと旅立っていきました。旅をしている途中で八橋という場所に通りかかりました。この橋は、幼いわが子に旅立たれ、悲しみから尼にはいった母親の想いから作られたと言われております。
そんな想いがある八橋で、在原は美しく咲き誇っているカキツバタを目にします。そしてこの花で旅の疲れをとるために、少しこの土地で旅の疲れをとることにしました。
その頃、姫も在原に恋をしており、在原を追い都を飛び出しました。そしてようやく在原との再会を果たした姫でしたが、在原と川を隔てた再会で、在原に一緒になることは出来ないと言われてしまいます。自分の事は忘れて都に帰ってほしいと言われ、在原は再び旅立ちます。その後、在原に会えた喜びもつかの間、姫は悲しみと寂しさ、そして慣れない長旅の末に病気になってしまい、無量寿寺での村人たちの親切な看病でもなかなか回復は見込めませんでした。そして、とうとう姫は池に身を沈め、その池には美しいカキツバタが咲くようになったと言われております。
【まとめ】
姫が身を沈めた池、ということからその姫の事をカキツバタ姫と言われるようになりました。はるばる都から会いにこられた姫の事を哀れにおもった村人は塚を建て、その塚が今でいう「姫塚」と呼ばれるものです。
八橋の昔話には、このように悲しいお話があります。昔話をこの先の未来に繋げていくことが、今生きている私たちの役割でもあるのかもしれません。