青の薔薇の花言葉は「不可能」と言われます。それは、どんなに交配をしても、青空のような色を出すはなかなか難しいことからだそうです。バラは中国を通してヨーロッパから入ってきましたが、その遠い昔、ヨーロッパには、ピンクのバラと白いバラしかありませんでした。
1900年ごろ、ようやく黄色のバラが品種改良で生まれ、その後、紫色のバラが生まれ、1945年にはイギリスで灰色を帯びた薄紫の「グレイパール」が発表されました。そして、青のバラを作ろうとする人々の挑戦の歴史が始まります。青薔薇の歴史と、なぜ青の色を出すのが、難しいのかについてご紹介します。
薔薇の中で青の品種を作るのが難しい理由
1957年、アメリカで「スターリング・シルバー」という青みの強い紫バラが生まれ、これがのちに青薔薇を生むきっかけとなって行きます。
1964年にドイツで「ブルー・ムーン」という紫バラが「スターリング・シルバー」を親にして生まれます。形がとても綺麗で、美しい藤色をしており、とても人気になりました。
1986年に、日本で、小林森治さんが淡い青紫色の「オンディーナ」を発表。1992年には、澄んだ淡い水色の「青竜」など、次々と青薔薇シリーズを発表します。
この2002年5月に埼玉で「国際バラとガーデニング・ショウ」に出品された「青竜」は、「世界で最も青いバラ」と「グレイパール」を作ったサミュエル・マクレディにも賞賛されたと言われています。
また、2002年に河本バラ園の河本純子さんが、小林森治さんの「オンディーナ」を親として、「ブルーヘブン」を発表しています。
薔薇の中で青の品種を作るのが難しい理由
ではなぜ、青の色を出すのがそれほど難しいのでしょうか。花の色素にはアントシアニンとカロチノイドがあります。アントシアニンは赤、紫、青を発色し、カロチノイドは朱色、オレンジ、黄色を発色します。
バラの中にはアントシアニンが含まれているのですが、アントシアニンが青に発色する条件を満たすことができないのが原因だそうです。
アントシアニン色素の分子構造で、水酸基が1つで赤、2つで赤紫、3つで青紫に発色し、バラで3個の水酸基(デルフィニジン)をもつ品種がないため、青いバラを作るのが難しいそうです。
2004年にサントリーが、オーストラリアと共同開発したのが、デルフィ二ジンを持つ青いバラ「アプローズ」です。パンジーからデルフィニジンを作るために必要なDNAを取り入れることに成功したのです。
その後、小林森治氏の作った「青竜」から、新しい青い色素が見つかり、「ロザシアニン」と名付けられ、次々と、初心者でも育てやすい青薔薇の新種「ブルーフォーユー」「レイニーブルー」が作られ、そして2010年には四季咲きで大輪の美しい「ノヴァーリス」が発表されました。
まとめ
バラ愛好家の青いバラを作ろうとする長い改良の歴史と、サントリーの遺伝子組み換え技術で生まれた青薔薇、そして現在の青紫の「ノヴァーリス」までをご紹介しました。
改良に改良を重ねて不可能を可能にする人々の開発で、青薔薇の花言葉「不可能」が「可能」になる日も近いのかもしれません。